仏教というものは、主に心でするものである。
行動や言動を制御し変革もたらすその主体は心にほかならない。心はさまざまな形をとって現れる。言動と心の活動を比較すれば、心の活動の方がはるかに広範囲にわたっている。もちろん一般的に身体的活動も様々あるが、それらの源は心にほかならない。
また行動や言動には限界が必ずある。たとえば跳躍能力や腕力は、努力して鍛えることでその能力を増加させることができるが、無限に増大することはない。同様に言動で他人に貢献しようとしても、仏の言語能力でもない限り、我々のことばの力はどこかで必ず限界に到達してしまう。
しかし意識はこれとは異なり、その能力は無限大である。悪しき考えが無数でその限界がないように、善き考えも無数であり限界をもたない。たとえば、我々はこの空間にある限りの無辺の母なる衆生とか、自分と同じように苦しみたくないと思っているすべての衆生に必ず利益をもたらしたい、このような思いをも起こすことすらできるのである。
心には限界がないということは、その心のもつ長所もまた、無限大に進化できるということである。今生で心に施した変革は、来世へと受け継いでゆくこともできるのであり、それを積み重ねてゆくことができるのである。
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