2020.01.02
རྒྱལ་སྲས་ལག་ལེན་སོ་བདུན་མ།

勝子行三十七頌

菩薩行とはどのようなものか
ギャルセー・トクメー・サンポ著
Bodhisattva.16c. (c) Rubin Museum of Art

ナモー・ローケシュヴァライェー

一切法は不去不来と観じれども
衆生の利益に一心に励み給える
最勝の師 主 観自在よ
常に三門で敬礼礼拝せん

利楽の源たる正等覚
それは正法成就より成る
それもその行を知ることに依る
それ故に勝子たちの修行を説こう

得難き有暇具足 いま大船を得たこの時に
自他を問わずに輪廻の海より度するために
昼であれ 夜であれ 途絶えることもなく
聞し思索し修習する これが勝子行である

親しき者たちには貪欲は水のように流れる
疎ましき者たちに瞋恚は火のように燃える
取捨するのを忘却した愚痴の闇は深く覆う
故郷を捨て去る これが勝子行である

故郷を捨て去れば煩悩は次第に消える
それを怠らず為すならば善行は自ら増える
意識を明澄にするならば法に決定が生じる
寂静処に棲む これが勝子行である

永く連れ添った親友たちとは別れよう
努力して成した財産は遺して逝けばよい
宿を寄せたこの身から心の客人は立ち去る
今世に意を向けない これが勝子行である

彼と付き合えば三毒は増加する
聞思修の所行は堕落してしまう
慈と悲を無きものとさせてしまう
悪友を捨てる これが勝子行である

彼に拠れば悪行は消え去るだろう
功徳は満月のように充満するだろう
勝れた善知識を自己の身体よりも
愛しきものとする これが勝子行である

自分たちでさえ輪廻の牢獄に囚われてる
世間の神々の一体誰が救ってくれるだろう
それ故 それを救いとしても欺かれない
三宝を帰依処とする これが勝子行である

甚だ耐え難い 悪趣の苦しみ
それは罪の業果と牟尼は説かれた
それ故 たとえ命に支障が起ころうとも
決して罪業を為さない これが勝子行である

三界の楽は葉先の露のごとく
忽ちに消えてゆく法を有している
決して変わらない勝れた解脱の境位 
これを追求する これが勝子行である

無始以来この私を愛してくれた
母たちが苦悩の前に自らの楽など何とせん
それ故に無辺の有情を解脱させるために
菩提心を起こす これが勝子の行である

苦しみのすべては自らの楽を求めて起こる
正等覚は他者を利する心より誕生し給える
それ故 自己の楽と他者の苦しみとを
正しく等換する これが勝子行である

如何なる者であれ 強い欲の虜となり
私の財を奪い奪わせることがある時も
身体 その享受するもの 三世の諸善
それらは彼らのものとする これが勝子行である

私には何も過失がないにも関わらず
私の首が斬り取られることがあろうとも
悲心に支配されて 彼らの為せる罪業を
私が引き受けよう これが勝子行である

ある者は私を誹謗する言葉を語るだろう
彼らがたとえ三千大千世界に宣伝しても 
慈しみの心をもち彼らの功徳を数えあげ
彼らを褒め称えよう これが勝子行である

ある者は多くの人が集まる中心で
欠点を数え上げられ悪口を言われたとしても
彼らは善知識なのだと想像することにより
彼らを褒め称えよう これが勝子行である

私が我が子のように愛した人が
私をたとえ敵視しようとも
病に悶える子の母のように
いま以上愛したい これが勝子行である

自分と同等かそれ以下の輩たちが
慢心で威を誇示することがあろうとも
彼らに師の如く敬い恭しく
自らの頭頂に戴こう これが勝子行である

生活に苦しみ常に人に酷使され
難病に苦しみ 魔に憑かれても
一切衆生の罪苦を私は引き受けて
挫けまい これが勝子行である

名声を得て多くの者たちに傅かれ
毘沙門天の如き財を築けたしても
有の繁栄など無意味であると観じ
驕慢にはならない これが勝子行である

私の瞋恚というこの敵を調伏しないのなら
外部の敵はいくら制しても増えるばかりである
それゆえ慈悲という軍を率いることにより
自身の心を調伏する これが勝子行である

欲界の功徳は塩水のようなものである
それをいくら飲もうとも渇きは増してゆく
それに執着が生まれる事物からは遠ざかり
断ち捨ててしまう これが勝子行である

これらがどのように現れていても私の心は
心性本来は戯論を離れているという
この実義を知ることで所取能取の諸相に
作意することはない これが勝子行である

意に適う対象に遭遇する時には
それは夏の空の虹のように
美しく見えるが事実ではないと見て
執着するのをやめる これが勝子行である

様々な苦しみは 夢に我が子を亡くす如きもの
迷乱の顕現を真実と捉えて疲弊して何になろう
それゆえ 逆縁に向き合うことがある時には
それは迷乱だと考える これが勝子行である

菩提を求めて身体も捨てねばならないなら
外側にある諸々の事物などは言うまでもない
それ故に 見返りや異熟を期待することなく
施しを与える これが勝子行である

戒めることもなく自利すら達成できずして
利他を実現したい思うのはお笑い草である
それ故 有の期待をもつことではない 
戒律を守る  これが勝子行である

善の享受を望んでいる勝子には
一切の加害者は宝蔵に等しいものである
それ故に すべてに怒りや攻撃をなさない
忍辱を修習する これが勝子行である

自利だけを成さんとする声聞独覚ですら
頭に付いた火を消すように励むのを見れば
一切衆生を利益するために功徳の源泉たる
精進しはじめる これが勝子行である

奢摩他を具足した毘婆舎那が
煩悩を破壊するのを知ることで
四無色をも完全に超越した
禅定を修習する これが勝子行である

智慧がなければ五波羅蜜によってさえ
正等覚を得ることなど不可能である
それ故 方便を具え三輪無分別の
智慧を修習する これが勝子行である

自らの迷乱を自らが検証しなければ
法師の姿をしても非法を為し得てしまう
それ故 常に自らの迷乱を
検証し断ち捨てる これが勝子行である

煩悩に支配され他の勝子たちの
過失を語れば自らが堕落するだろう
大乗に入っている人たちの
過失を語るまい これが勝子行である

富や名声に支配されれば互いに諍い合い
聞思修という為すべきことが失われる
それ故 友 親族 家族 施主の家にて
執着を断ち捨てる これが勝子行である

言葉の暴力は他人の心を混乱させ
勝子の作法を失落させてしまう
それ故 他者の意にそぐわない
悪口を断ち捨てる これが勝子行である

煩悩を習えば対治によって退け難い
正知正念こそが人の武器として手にし
貪りなどの煩悩が起こったその瞬間に
直ちに破壊する これが勝子行である

つまりはどこでどのような作法で何を為すとも
自らの心の状態はいまどのようななのかを
常に正念し 正知するということにより
利他を成就する これが勝子行である

そのように励むことで成就した諸善を
無辺の衆生の苦しみを取り除くため
三輪清浄なる智慧により
菩提に廻向する これが勝子行である

顕密の経論で説かれている意図を
勝れた者たちが説かれているのに随順し
勝子の実践の三十七よりなるものは
勝子の道を学びたい者のために示した

智慧が弱く学びも小さいがため
賢者を歓喜させる韻律もないけれど
経と正法に説かれるものに依っているから
誤ることのない勝子の実践の善なるものと思う

しかし勝子行は広大なるものにして
私のよう劣った知性では計り難きため
矛盾は無関係などの過失の集まりを
勝れた者たちは忍んでいただけるよう願わん

以上は自他を利益するために聖言と正理を語る僧侶トクメーがグルチュー・リンチェンのほとりで記したものである。

その他


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