2009.08.17

生きる

よく相談されることに「私たちは何のために生きているのでしょうか」という質問があります。実はこの質問の答えははるか昔釈尊の時代より既にわかりきったものです。それは「すべての生きとし生けるものが幸せで苦しみのない生活を送れるように思い、そしてそれを祈り、それを自分が実現しようとすること」です。つまりたとえ自分がどんな苦境に陥っても「ほかのすべての衆生のために生きること」これこそが生きる意味であり、その人生を過ごすことができる、ということが人身を受けてこのゆとりある暇のある境界に生まれていることの尊さなのです。これは簡単ではありません。その気持ちを忘れない忍耐力と絶え間ない努力が必要になります。くよくよしている暇はありません。ダライ・ラマ法王はその実践者です。法王が来られて私たちに説いてくれる教えはその生きる目的を実践的に教え、我々を勇気づけてくれることでしょう。

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