先日、弊院創設者のケンスル・リンポチェの一周忌に、日本別院ではもちろん、インドの本山デプン・ゴマン学堂においても盛大に法要が行われました。
チベットでは一周忌法要は必ずしもするわけではありませんが、することもよくあるそうです。
「四十九日間以内に必ず何かに生まれ変わるというチベット仏教の考え方だと、一年後はもう生まれ変わっているはずなのに一周忌法要をするのですか?」という問いに
「次の来世、そのまた次の来世がより善くなるようにお祈りをするのです。」と、アボさん。
そうそう、そうでした!
チベット人は点や線ではなく、もっと広く大きな概念で捉えているのでした。
現世の「亡くなった私のおじいちゃん」だけを供養するのではなく、来世やそのずっと先までの幸せを祈るのです。また、「私の」おじいちゃんだけでなく、みんなのおじいちゃんや、おばあちゃんや、、、生きとし生ける全てのもののために祈ります。これは、巡り巡ってひいては自分の幸せになるわけですよね。(お経が長いはずですね)
お盆だけでなく、いつも先祖に感謝し、生きとし生けるもののために祈るのは容易なことではありませんが、これも訓練だそうです。自分のこと、家族のことを祈る時に一緒に他者のためにも祈るようにしていけば、いずれ自然にできるようになるそうです。
ちょうど日本では先日お盆を迎えました。先祖に手を合わせるとき一緒に、生きとし生ける全てのものの幸せもお祈りすることから始めてみます。